久々のお勉強ターイム!!今回は日本のウイスキーの歴史に迫ります。
日本に初めてウイスキーがやってきた時の話から、日本のウイスキーが世界に認められるようになるまでを時代の流れに沿って辿ってみましょう!
知れば知るほど日本のウイスキーが好きになりますよ!!
- 日本ウイスキーの歴史
- 日本ウイスキーの飲み方について
- 日本ウイスキーおすすめ銘柄のご紹介
などをお送りしていきます。
それでは日本のウイスキーの歴史から始めましょう〜!
日本ウイスキーの歴史
日本のウイスキーの始まりから今日までをいろいろな角度で見ていきたいと思います。
まずはそもそもの始まりから。
「ウイスキーはいつどのように日本に来たのか?」という疑問にお答えします。
日本にウイスキーが伝わったのはいつ?
日本に初めてウイスキーが上陸したのは1853年、ペリー来航の時だと言われています。
ペリーさんといえば黒船でお馴染みの鎖国状態の日本に開国を迫ったあの人。
とりあえずお願いを聞いて欲しいものだから乗船して応対した幕府の役人にご馳走をふるまい、お酒でもてなしてご機嫌を取ろうとします。
お役人さんもイケる口だったのでしょう、出されたお酒を美味しい美味しいとたくさん飲んで上機嫌!その出されたお酒の中にウイスキーもあったそうです。
そしてペリーさんとお役人はすっかり仲良しになり、鎖国は解かれることになります。
「日本人めっちゃウイスキー好きやん!」と思われたようで翌年には当時の将軍、13代徳川家定にもウイスキーが献上されたとか。
日本に上陸した初めてのウイスキーが歴史の授業で習ったあの人が持ってきていたとは!学校では教えてくれない意外なお話でした。
ここで初めて日本にお目見えしたものの当時は高級品、当然庶民の目に触れることもなく時は流れていきます。
その後、ウイスキーはどうなっていくのでしょう?
明治時代の日本のウイスキー事情について
明治に入ったころにはウイスキーが外国から輸入されるようになっていました。
それまでは主に外国人向けに輸入されていましたが、1871年に初めて日本人向けに「猫印ウイスキー」が輸入されたということが伝えられています。
しかしこちらもかなり高価なもので庶民には手の届かないものでした。
このころは国内ではまだ今のようなウイスキーは製造されておらず、模造品のウイスキーもどきが「ウイスキー」として造られていたようです。
それもあまり人気はなかったようですが、変わりゆく時代の中で本格的なウイスキー造りに立ち上がった人達がいたのです。
日本の本格的ウイスキーの幕開け
時は大正に移り、1918年に大阪の摂津酒造が模造品ではない本格的なウイスキー造りに着手するため、社長の阿部喜兵衛が社員をスコッチの本場スコットランドへ社員を研修に向かわせることを思い立ちます。
阿部喜兵衛が同社常務の岩井喜一郎に適任の人材を打診したところ、岩井喜一郎の学生時代の後輩であり同社社員の竹鶴政孝が適任として選ばれたのです。
竹鶴政孝といえば現ニッカウヰスキーの創業者、岩井喜一郎はマルスウイスキーの生みの親とも言われる人物で、そのウイスキー造りに賭ける情熱は現代にも受け継がれています。
竹鶴政孝は洋酒造りに並々ならぬ情熱を持っておりスコットランド行きを快諾、2年にわたる修業によってスコッチ造りのノウハウが詳しく記された「竹鶴ノート」を持ち帰り、上司の岩井喜一郎に託しました。
しかし、竹鶴政孝が帰国した時には不況のため摂津酒造ではウイスキー造りの計画が頓挫しており、ウイスキー造りが実現されることは叶わなかったのです。
それから数年後、竹鶴政孝はウイスキーを造ることなく同社を退社しています。
しかしその頃、本格的なウイスキー造りを計画していた株式会社寿屋(現サントリー)社長の鳥井信治郎が竹鶴政孝をスカウト、1923年に日本で初のウイスキー蒸溜所の建設も果たしました。
国産の本格的なウイスキーはこの京都郊外に建てられた山崎蒸溜所から鳥井信治郎と竹鶴政孝によって生まれることになるのです。
記念すべき国産初の本格ウイスキー
山崎蒸溜所の初代所長として本格的なウイスキー造りに着手した竹鶴政孝でしたが、なかなか思い通りのウイスキー造りはできなかったようです。
ウイスキーは熟成にかなりの年数がかかるもの、しかしウイスキーに馴染みのない出資者からはそれが理解されることはありませんでした。
ウイスキーがなかなか発売されないことを不満に思う出資者たちにせかされるような形で1929年に発売した国産初の本格ウイスキー「サントリー白札」は日本人の口には合わず、あまり売れなかったようです。
次いで発売された「赤札」も評判はイマイチで日本の本格ウイスキーの幕開けはあまり明るいものではありませんでした。
熟成の足りない原酒を使用せざるを得なかった事情もあるのでしょうが、竹鶴政孝がピートを用いることにこだわったのも当時の日本人に人気が出なかった一因ではないかと言われています。
竹鶴政孝がスコッチの味わいにこだわりを持ってウイスキー造りをしていることに対し、鳥井信治郎は日本人の口に合うようなウイスキーを目指していたことが、後に両者の道が分かれていく原因になっていくのです。
山崎蒸溜所の所長に就任して10年経った1934年、契約満了のため竹鶴政孝は退職して自身が目指す「本物のウイスキー」を造るため、出資者を募って北海道の余市に工場を持つ「大日本果汁株式会社」を設立します。
一方、寿屋は1937年に発売した「サントリーウイスキー12年」(角瓶)がヒット、ここからウイスキー事業が発展していくことになりました。
しかし1940年には「ニッカウヰスキー」第1号が発売、「サントリーウイスキーオールド」が発表されるも、戦争により販売が見合わされています。
それではここからは戦後の両社の軌跡とその他の日本のウイスキーメーカーをご紹介していきましょう。
日本を代表するウイスキーメーカー
戦後になると国内でウイスキーを造ろうとする企業が増えてきました。
現在の日本のウイスキーを支えている主な企業をご紹介しましょう。
まずは寿屋のサントリーウイスキーから。
サントリーウイスキー
商品完成から10年の歳月を経た1950年に「サントリーウイスキーオールド」が発売され、その後もほぼ10年おきに「サントリーローヤル」、「サントリーウイスキーリザーブ」などの今もお馴染みの銘柄が発売されています。
1973年には白州蒸溜所が開設され、原酒も多種多様に。
1984年には初のシングルモルト「山崎12年」、1989年にはブレンデッドウイスキー「響17年」、1994年にはシングルモルト「白州12年」と人気の銘柄が次々とリリースされています。
2003年には「山崎12年」がISCで金賞を受賞するなど国外でも品質が認められ、それ以降は「山崎」だけではなく「響」「白州」も次々と国際的な賞を受賞するようになりました。
サントリーウイスキーの繊細で芳醇な味わいは国内外から絶大な支持を受けています。
ニッカウヰスキーの方はどうでしょうか。
ニッカウヰスキー
1956年に「ブラックニッカ」を発売、1962年には「スーパーニッカ」を発売するなど順調に新作を発表した後、1969年には宮城峡蒸溜所が完成しています。
1976年には最高級ウイスキーにあたる竹鶴政孝の遺作「鶴」を発売、竹鶴政孝亡き後も1989年には待望のシングルモルト「余市」「宮城峡」を発表。
2000年にはモルト原酒のみをブレンドした「竹鶴12年ピュアモルト」が発売され話題に。
2007年に「竹鶴21年ピュアモルト」でWWAブレンデッドモルト部門世界最高賞を受賞し、その後も「余市」などが権威ある賞を受賞しています。
余市蒸溜所のピートの効いたソルティな原酒と宮城峡の華やかな原酒が見事に活かされたウイスキーはとても人気がありますね。
サントリー、ニッカのウイスキーが日本を代表する2本柱であることは間違いがないと思いますが、日本には他にも素晴らしいウイスキーが存在します。
その他のメーカーにも注目してみましょう。
先ほど少しご紹介した岩井喜一郎が手がけたマルスウイスキーをご紹介します。
マルスウイスキー
摂津酒造を退任した後の1945年に岩井喜一郎は鹿児島の本坊酒造の顧問に就任しています。
本坊酒造はその後1949年にウイスキー製造免許を取得し、岩井喜一郎の指導のもとウイスキー造りを始めることにしたのです。
岩井喜一郎はかつての部下である竹鶴政孝が持ち帰った竹鶴ノートを元にウイスキー造りを指導していました。
鹿児島で始まったウイスキー造りは山梨へ地を変え、その後訪れた地ウイスキーブームに乗り本坊酒造は1985年に長野にマルス信州蒸溜所を建設しています。
しかし、ウイスキー需要の低迷によりマルス信州蒸溜所は1992年には蒸留をやめてしまい、2011年の再稼動まで実に19年もの間、新しい原酒が造られることはなかったのです。
現在はウイスキー人気の後押しもあり、2016年には鹿児島にマルス津貫蒸溜所も建設されマルスウイスキーは発展の一途を辿っています。
岩井喜一郎亡き後もマルスウイスキーには彼の遺志が受け継がれているのです。
サントリー、ニッカ、マルスとウイスキー造りに情熱を注ぎ日本のウイスキーを先導してきた企業をご紹介してきましたが、日本には新しい勢力も台頭してきています。
イチローズモルトで一躍有名になったベンチャーウイスキーがその筆頭といえるでしょう。
その他にも近年数々の蒸溜所が完成し、日本のウイスキー業界は話題でもちきりになっています。
これからがますます楽しみですね!
それでは次は日本のウイスキーの美味しい飲み方をご紹介します。
日本ウイスキーの飲み方
日本のウイスキーは食事に合う銘柄が多く、食中酒としても重宝します。
一昔前はウイスキーといえば水割りが定番でしたが、近年はハイボールブームで炭酸で割って飲む方が増えていますね。
どちらも食中酒としてピッタリな飲み方ですので、合わせるお料理によって飲み方を変えるのがおすすめです。
個人的にはお刺身や煮物などには濃い目の水割り、揚げ物や洋食などこってりしたものには氷を入れないハイボールを合わせるのが気に入っています。
もちろん食事の時だけでなく、ゆったりとリラックスしたい時にも日本のウイスキーを楽しみたいですね。
そういう時は少し奮発したボトルをストレートやロックで味わうのがおすすめ。
日本のウイスキーは品薄で価格が上がってしまって手が出にくくなった銘柄も多いですが、それでも少し奮発して買ったボトルを開ける時はなんとも言えないご褒美感がありますよね。
飲み方というとストレートやロック、ハイボールなどというスタイルのことを言いがちですが、こういったご褒美ボトルをお気に入りのグラスや椅子、音楽などに囲まれて楽しむのもおすすめの飲み方です。
贅沢な時間を過ごしているという気持ちがウイスキーをより美味しくしてくれますよ!
それでは日本のウイスキーからおすすめの銘柄をいくつかご紹介しましょう。
日本ウイスキーおすすめ銘柄
日本のウイスキーを語る上では外せないボトルや個人的におすすめのボトルなどを集めてみました。
まずはサントリーの傑作、山崎からご紹介します。
サントリー 山崎
写真は山崎12年です。
日本のウイスキーの代表格と言ってもいいでしょう。
原酒不足で年数表記のボトルが減っていますが、山崎だけは頑なに12年ものを守っています。
山崎は年数表記のないボトルも発売していてそちらも美味しいのですが、初めて世界に認められた日本のウイスキーの味を堪能したいのならこちらの12年をお試しください。
繊細で華やかな香りが特徴の飲みやすいシングルモルトです。
希望小売価格8,500円に対してネットでは16,000円台~18,000円台くらいと高騰していますが、お試し程度なら50mlのボトルも販売されていますのでそちらをお買い求めになるのもいいと思います。
次はニッカのシングルモルトのご紹介です。
ニッカ 余市
ニッカの代表的なシングルモルトといえばこの余市と宮城峡の2本が挙げられます。
中でも北海道の余市はニッカの創業者である竹鶴政孝氏がこだわり選んだ土地で、そこで生まれた「余市」は竹鶴氏の遺志が感じ取れるシングルモルトなのです。
品薄のため商品自体を店頭で見かけることはかなりレアですが、ネットでは希望小売価格4,200円に対し6,000円台~8,000円台ほどで手に入れることが可能なようです。
ピート感のある力強い酒質で飲み応えのあるボトルに仕上がっています。
海の幸のおつまみと一緒に飲むとより美味しく感じられますよ。
次はお手頃な価格で美味しいおすすめボトルのご紹介です。
ニッカ フロム・ザ・バレル
私が個人的にとても気に入っているのがこのフロム・ザ・バレルです。
近所のお店でも手に入る手軽さで内容量が500mlと少なめですが定価の2,400円で買っています。
ネットでは3,000円台~5,000円台と価格にバラつきがあるようなので吟味してお買い求めください。
こちらはアルコール度数51度のブレンデッドですが、度数の割りに飲みやすいのがとてもいいですね。
ストレートで飲んでいますが刺激も少なく香りも華やかでついつい飲み過ぎてしまいます。
ストレートからハイボールまでいろいろな飲み方で楽しめるのもおすすめのポイントですよ。
次はキリンからリリースされたボトルをご紹介しましょう。
キリン 富士山麓樽熟原酒50度
こちらは人気の高い富士山麓。
現在はこのボトルは終売していますが、店頭やネットではまだ手に入れることが可能です。
ハイボールでも崩れないしっかりとした味わいが魅力のボトルです。
現在の富士山麓の現行品はシグニチャーブレンドだけになりましたが、少し値段が高いことを考えると手に入るうちはこちらの樽熟原酒50度の方が味、価格ともにお値打ちだと思います。
次はマルスウイスキーからのご紹介です。
マルス モルテージ越百
モルテージ越百はモルト原酒をマルスの優れたブレンド技術によりバッティングされたブレンデッドモルトウイスキーです。
非常に飲みやすいウイスキーでどんな飲み方でも合いますよ。
オレンジやアンズのようなフルーツの香りでマイルドな味わいです。
お値段は4,000円前後ほどで販売されているようですね。
個性には乏しいかもしれませんがアルコール感も強くないので初心者の方にもおすすめですよ。
次は気鋭のベンチャーウイスキーからのご紹介です。
イチローズモルト MWR(ミズナラ・ウッド・リザーブ)
ベンチャーウイスキーからリリースされたイチローズモルトは社長の肥土伊知郎氏の名前を冠したもので、発売当初は肥土氏の父から譲り受けた羽生蒸溜所の原酒を使用していました。
現在は羽生蒸溜所は閉鎖されており、2008年からは肥土氏が建てた秩父蒸溜所で原酒を造っています。
MWRは国産のミズナラの樽を使用しており、ミズナラ樽熟成原酒の特徴である伽羅や白檀の香りを楽しめるボトルです。
価格は高騰しており10,000円は下らないと思いますが、国産ミズナラ樽のオリエンタルな香りや複雑で贅沢な味わいは一度試してみたいもの。
ベンチャーウイスキーは秩父に第二蒸溜所もオープンしていて、好調さがうかがえますね!
おすすめの日本のウイスキーのご紹介はここまで、それではまとめに入りましょう。
まとめ
日本のウイスキーの始まりから今日までと、美味しい飲み方やおすすめボトルまでをご紹介してきましたが如何でしたか?
今回はご紹介しきれなかった新しい蒸溜所などもできていて、日本のウイスキーはこれから更に発展すること間違いなし!楽しみですね。
それではまとめましょう。
- ウイスキーが日本に初めて上陸したのは江戸時代後期のことである
- 明治時代の輸入ウイスキーは高価でほとんどが外国人向け、国内で製造されていたのは模造ウイスキーであった
- 1918年、竹鶴政孝がウイスキー造りを学ぶためにスコットランドへ2年間留学
- 1923年、寿屋(現サントリー)社長、鳥井信治郎が山崎蒸溜所を建設、竹鶴政孝が所長就任
- 1929年、日本初の国産本格ウイスキー「サントリー白札」発売
- 1934年、竹鶴政孝が余市に「大日本果汁株式会社」を設立
- 2003年、サントリー「山崎12年」がISC金賞受賞、日本のウイスキーが世界に認められるきっかけになる
以上です。
今回この記事を書いていてもっとウイスキーの勉強をしたいなーと思うようになりました。
みなさんと一緒にもっとウイスキーにハマりたいです。
これからもどうぞよろしくお願いします。
それではまた!ごきげんよう!!